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「リドリング・ソープ・マナー」の正体について

 
 


 平賀三郎は「踊る人形の生まれた家」24で、「踊る人形」の舞台となるキュビット家の所有する「リドリング・ソープ・マナー」の正体として、「リドリントン村の中心部から約1マイル南により、東ラストン村から2マイルばかりのところにあるクロスワイトホールがそれである。リドリング・ソープ・マナーの条件はほとんど満たしている上、その雰囲気もよく備えている」と述べている。

 彼がいう「条件」とは、


(a) 最寄り駅は北ウォルシャムである

(b) 規模と建物が、5世紀以前から続く地主にふさわしいものである

(c) 近くに東ラストンという村がある


 の三つを挙げている。しかしこれ以外にも条件があるのはいうまでもない。

 聖典を見ればすぐに判ることだが、以下の三つも重要な条件だ。


(d) 北ウォルシャム駅から馬車で7マイル

(e) 「ノーフォーク海岸の緑色の縁のむこうにドイツ海の青紫色の海面があらわれてくる」25とあるように、海の見える場所

(f) 「木立ちの中に突きでた煉瓦と木でできた二つの古い破風」26がある。


 先人の研究をひもといてみると、まず(d)の距離からハマー27はイースト・ラストン・ホール、ウォルコット・ホール、ウォルコット・ハウスに絞り込み、さらに前二つには破風がないことからこれらを却下した。その結果ハマーの考える「リドリング・ソープ・マナー」の正体はウォルコット・ハウスであるという結論に達した。同じ結論にシャーリー・サンダーソンも至っている28。またウェラーはリドリントンとエディングソープ側のバクトンの間にあるグランジという名で知られている不動産を示唆している。ウエラーは「これはキュビット一族の一員キュビット夫人が所有していたが、彼女の夫は事件が起こる十四年前にすでに死亡していたというのが不利な点である」29といっている。


 これらの海外の説に比べて決定的に平賀説が不利なのは、彼が挙げていない条件(d)から(f)の三つを満たしていないことである。

 まず(d)の「北ウォルシャム駅から馬車で7マイル」という条件だが、現代のgoogle mapを利用すると簡単に自動車での交通案内を地球の裏側からでも得られる。そこで北ウォルシャム駅からクロスワイト・ホールまで自動車で行った場合の距離を測定すると、たったの4.2マイルでしかないのだ。全然7マイルに足りないのだ。

 ところが目的地をハマーやサンダーソンが唱える説であるウォルコット・ハウスに設定すると、北ウォルシャム駅からの距離はルートにもよるが6.5マイルもしくは8.2マイルなのだ。つまり7マイル前後であり、聖典に記録されている距離とほぼ一致する。

 次に(e)の「海の見える場所」という条件だが、クロスワイト・ホールは全くの内陸部で一番近い海岸まででも直線距離で4マイル前後はある。一方ウォルコット・ハウスはずっと海岸に近く、1マイルあまりで海岸に出ることができる。

 最後に(f)の「木立ちの中に突きでた煉瓦と木でできた二つの古い破風」だが、ハマーは現地調査でイースト・ラストン・ホール、ウォルコット・ホールには破風がないことを確かめて候補から脱落させている。ウォルコット・ハウスには四つ破風があったがその材質が煉瓦と木でないものの、建物自体が赤煉瓦づくりの三階建てだということで、ここが一番可能性がある建物であると述べている。

 しかしクロスワイト・ホールは「高い破風のある石壁の家」30とかかれているところをみると、石作りであり、聖典に書かれているような煉瓦も石も一切使われていないようである。論文中に掲載されている白黒写真でもそれがうかがわれる。

 このようにして平賀が論文中で触れることのなかった重要な要件をクロスワイト・ホールは満たしていないことがわかった。


 さらに「一族はリドリング・ソープにかれこれ五世紀も暮らしていて、ノーフォーク州では一番の旧家なのです」とキュビットが言っていることからしてみて、少なくともこの事件まではこの屋敷には同じ一族がずっと住み着いているはずである。

 ところが英語版ウィキペディアの「Crostwight」の項目31によれば、1845年版のウイリアム・ホワイトの地名辞典にはかつてここはウォルポール男爵家の本拠地であり、現在はシェパード氏が地主としてクロスワイト・ホールに住んでいると記述されている、と引用されている。さらに1883年版のホワイト地名辞典には、クロスワイト・ホールはかつてウォルポール一族及びル・グロース一族の本拠地であり、現在はフレデリック・ギブス氏が住んでいると述べている。また地元ストレンジャース・ホール博物館に所蔵されている1862年の年号が入っているヴァレンタインカードについて記述されている一節では、その当時ホールにはレーン一族が住んでいたと書かれている。つまり以上をまとめると、クロスワイト・ホールの住人は、


1845年以前     ウォルポール男爵家、ル・グロース一族

1845年        シェパード氏

1862年        レーン一族

1883年        フレデリック・ギブス氏


となり、とうてい同じ一族が五世紀に渡って住み続けて来たとは言えない状況である。


 以上検討の結果、クロスワイト・ホールはキュビット一族が五世紀に渡って住み続けたリドリング・ソープ・マナーである条件を満たしていないと考えざるを得ない。

 



24 『ホームズの世界』第29号、日本シャーロック・ホームズ•クラブ、2006年、pp128-136

25 「踊る人形」高山宏訳、『シャーロック・ホームズ全集』第17巻、東京図書、1983年、p23

26 同上。

27 David L. Hammer THE GAME IS AFOOT, Gaslight Publications, 1983, p154

28 Shirley Sanderson, “Another Case of Identity”, Sherlock Holmes Journal, 6, No.3 (winter 1963), 86-87

29 Philip Weller, “The Norfolk Dance Hall and Other Locations: The Geography of DANC” The Dancing Men Contract. Fareham, Hampshire, England: Franco-Midland Hardwa

30 p133

31 http://en.wikipedia.org/wiki/Crostwight